恋愛(という名の格闘技)

 普段使っている四階建ての新校舎。その陰に隠れるように三階建ての旧校舎がある。授業を行う教室は全て新校舎に移っているとはいえ、まだある程度の数の生徒が利用している。その証拠に、古くはあるがほこりが目立つということはない。いくつかの部活が活動室として割り当てられているため、持ち回りで掃除を行っているのだ。放課後である今はまさにそのような部活が活動している時間であり、時折声が聞こえてくる。
 そんな時間に旧校舎を歩く私だが実はどこの部活にも入っていないし、入るつもりもない。そんな私がなんでこんなところを歩いているのか。実は自分でもそのことが良くわかっていない。きっかけは私にあるような気がするのだけど、それがどうしてこうなったのか……。

 いつものように友達四人とお昼ごはんを食べていた時だった。仲の良い友達と一緒で気が緩んだのか、それともカナメがその手の話をしていたからか。
「私、好きな人ができた、かも……」
 気が付けば私はそんなことを口にしていた。普段の私はこの手の恋愛話にあまり参加しないこともあってか、四人の食いつきは凄まじく、あっという間に好きな人の名前を言わされてしまっていた。今になってみれば、少し考えればこうなることくらい予想できたと思う。後悔先に立たず。心に刻んでおかないと。
 私が名前を言った後の皆の反応は予想通り、
「がんばってね……」
 という感じ。諦めるよう言われなかっただけマシだろう。なんといっても私が好きになったのは学年で一番人気がある人だし。好きだから言うわけじゃないけどこの学校で一番かっこいい。毎日のようにいろんな人に告白されているし、毎年バレンタインにはマンガのように下駄箱をチョコレートで一杯にしている。でも何故か彼女はいない。らしい。本当かどうかはわからないけど告白した子がことごとく断られたって話しか聞かない。ちょっと不思議な人。それに比べて私はこれといった取柄もないし、自分でも無理だろうなとは思っている。
 だから最後にトモエが言った言葉がとても気になってしまったのだ……。

 旧校舎三階一番奥の教室。そこに私の目的の部活があるらしい。
 旧校舎の三階まで上がり、一番奥の教室を目指す。活動時間中とは言っても三階で活動している部活は少ないらしく、下の階で聞こえていたような声はあまり聞こえない。窓も閉め切っているのか、外で活動している部活の音も聞こえてこない。唯一聞こえてくるのは自分の足音だけ。それがなんだか私を心細くさせる。そんなに長くない廊下のはずなのになかなか到着しないのは心細さのせいか、それとも目的地の変な名前のせいか。

『恋愛格闘技研究部』

 それが目的の部活の名前らしい。お昼に話をしてた時は思わずなんだそれって言ってしまった。正直あやしさしかない。でもトモエが言うにはそこに行くと恋を成就させる方法を教えてもらえるらしい。どうせ無理なら何かしてみようと思ったのもあるけれど、皆に背中を押され気が付けば本当に来てしまっている。こうなってしまったのはこの流されやすい性格のせいか……。
 そんなことを考えているうちに一番奥の教室に到着していた。目の前のドアには『恋愛格闘技研究部』という看板が掛けられている。それ以外にも『恋の魔術師募集中!』『君の拳で気になる彼をノックアウト!』『相手をメロメロにする呪い、はじめました』というあやしいというよりやばい雰囲気の漂うポスターがドアの横などに何枚も貼られている。本当にここで大丈夫なの? 思わずそう口にしてしまいそうだ。
「うちの部に何か用かね?」
 突然背後から声が聞こえる。びっくりして振り返るとそこには一人の大きな男が立っていた。大きなというとがたいの良い体育会系を想像するかもしれないが、そうではない。『すらっと』という言葉が似合う長身の男だった。銀縁の眼鏡をかけこなしていて、もし着ているのが制服ではなくスーツだったら教師だと勘違いしてしまうかもしれない。
「用があるなら中で聞くが」
 男はそういうとドアを開け『恋愛格闘技研究部』の活動室へと入っていく。もうこうなったら覚悟を決めるしかない。
「失礼します……」
 教室に入ると、その不思議な光景に私は戸惑いを隠せなかった。四十人は入れるであろう教室にあるのは黒板前の教卓と対面するように置かれた一つの椅子。教室の後ろの方にはたくさんの本が立てられた本棚があるがそれ以外は何もなし。校舎の違いがあるとはいえ、普段見ている教室と同じ教室だとは思えない。
「ようこそ恋愛格闘技研究部へ」
 黒板の前に立った男が椅子に座るよう手で促してくる。覚悟を決めたはずなのに足が重い。しかしここまできたら後戻りはできない。そう自分に言い聞かせて私は部屋の中へ足を踏み入れた。
「恋愛関連の悩みがあるということでよろしいかな?」
 椅子に座った私に男が声をかける。まだ状況を受け入れられきれていない私はその言葉に反応できなかったが、それを肯定だと受け取ったのか、それとも最初から答えを求めていなかったのか、男は話を続けた。
「名前の通り我が部は恋愛に関する問題への対処を主な活動としている。どんな些細なことであろうとそれが恋や愛に関わるものであるならば我が部の活動対象である」
 男はどこから持ってきたのか白いチョークを手にすると私に背を向け、黒板へと手を伸ばした。
「そもそも恋愛とは何か」
 黒板に綺麗な文字で『恋愛』と書かれる。
「これは難しい問いだ。恋をし、愛を語ろうともこれについて全てを知ることは出来ないだろう。しかし、我が部では恋愛についてある種の解答を得ている」
 さっきの文字よりも大きく黒板に文字が書かれていく。
「それは『魔法』だ」
 チョークを置いた男が振り返りこちらを向いた。
「人に自分を好きにさせるということは相手の心に自分を住まわせるということだ。これが魔法でなくてなんだというのか」
 私の反応を見るでもなく、男は話を続ける。
「魔法と聞いて君は驚いたであろう。しかしここで言う魔法とはブツブツと呪文を唱えるようなことはしない。そんなもので恋が実るとでも思うのかね? 恋愛は格闘技だ。殴り殴られ先に相手を打ち負かす。これこそが恋愛なのだ。遠くから眺めていて恋が実れば誰も苦労はしない。出来るだけ近くから拳を打ちこむ技術こそが魔法なのだ」
 そこまで言ってから男は私のことを思い出したかのような顔をする。
「おっと、私としたことがつい熱くなってしまったようだ。申し訳ない。私の話はこれくらいにしてそろそろ本題に入ろうか。えっと……君の名前を聞いても良いかね?」
「……秋村ミキです」
「ありがとう。ではミキ君、君がどうしてここに来たのか教えてもらえるかい?」

「うむ」
 私が話をする間、教卓に腰をかけていた男は腕を組みながら何かを考えていたようだった。
「つまり、君はそのキョウスケ君のことが好きだが彼と自分じゃ釣り合わないから半ば諦めている。しかし、もし想いを受け入れてもらえる可能性があるのならばそれに賭けてみたい、ということでよろしいかな?」
 その通りなので私はうなずく。
 本当にこの男に話すことで何かが変わるのか。それはわからない。でも何もしなければ確実にこの恋は実らないと思う。この男に話すことで失うものはない。だったら何かしてみても良いのでは……。私は男と話をするうちにそう思うようになっていた。
「では君には『簡単スリーステップで憧れの人をノックアウトさせよう!』プランを採用したいと思う。このプランは……」
 プラン名を聞いてまた不安になったのは言うまでもない。

「さて、プランの確認をしよう」
 男は黒板に書かれたことを読みあげていく。
「まずは第一段階。これは相手からの認識を変えることが目的だ。興味の無い一般大衆から一人の敵として認識されるようにジャブを打つのだ。これが出来なければ話にならない。とりあえずこの第一段階をこなしてきたまえ」
「ジャブを打てって言われてもどうしたらいいのか……」
「難しいことは考えなくていい。とりあえず話しかけてきたまえ。強い好意があれば勝手に行為が付いてくるはずだ」
 なんだそれは、と言いたくなるような話だけどとりあえずやってみないことには始まらない。多分。……本当に大丈夫なのかなぁ。
「おっと、忘れていた」
 そう言うと男は教卓からネックレスを取りだした。
「これは魔法のネックレスといったところか。つけて行くといい。ジャブを打てというだけでは心配だろう」

 私が次に『恋愛格闘技研究部』を訪れたのは三日後のことだった。その間に私は好きな人に会い、話をしてきた。最初はぎこちなかったもののだんだんと話も弾み、今度遊びに行く約束までしてしまった。もしかしたら本当に魔法のネックレスの効き目かもしれない……。
 そのことを恋愛格闘技研究部の男に話すと、
「では第二段階に進むことにしよう」
 と言って説明を始めた。
「第一段階をジャブだとするならば第二段階はボディブローだと言えるだろう。この段階の目的はガードを崩すこと。ガードを崩すために必要なのは通常とのギャップである。丁度良くデートの約束も取り付けたようだしそれを上手く利用したまえ。重要なのは普段とのギャップ、そして相手との距離だ。ここで距離を詰めなければ第三段階はないと思うことだな」
「ちょ、ちょっと待って下さい……」
 ギャップだとか距離だとか言われても全くぴんと来ない。もっと具体的な方法を教えてもらわないとどうしたら良いのか見当もつかない。
「結局何をしたら良いんですか?」
「難しく考える必要はない。君は第一段階でも同じような質問をしたな? しかし私はそれに答えたかい? その時も今と同じように言ったのではないか? 一番大切なのは『どう行動するか』ではなく『何を思って行動するか』だ。大事なのは気持ちなのだよ。君は彼のことが好きなのだろう? ならその気持ちを大切にしたまえ。難しく考え過ぎてはいけない。自分を信じることだ」

 このあと私が恋愛格闘技研究部を訪れるまで十日かかった。
 なんでこんなに時間が空いたのかというと、遊びに行く日が第二段階の話をされた時の一週間後だったからだ。遊びに行く日にならなければ第二段階もボディブローも関係ない。
 ギャップや距離については三日間考え続け、服装などでなんとかすることにしたが、結局何を着て良いのかわからない。
 というわけで友達にも聞いてみた結果、『自分らしい服装』が良いのでは、ということに落ち着いた。変に自分を飾ってその時だけよく見せるのではなくて、自分らしさを出した方が距離を詰められるかもしれない、ということだ。本当の自分をさらけ出した方が人との距離は短くなるはず。
 そんなこんなで、悩みに悩んで行った初デートはなんといえば良いのか。楽しかったけど疲れたというか。でもなんか普通に話も出来たような。距離とかギャップとかについてはあんまり考えなかったけど、まあ良いかなって思えるくらいは楽しめた。このまま、たまに遊びに行けるくらいの仲でも良いような気がしてきた。
 ……というような話をすると、
「ミキ君、君の求めていた物はその程度だったのかい?」
 とか言われそうだったということも恋愛格闘技研究部に足が向かわなかった理由の一つだ。だけど背中を押してもらったし、魔法のネックレスのこともあって報告しないわけにはいかなかったのだ。

「第三段階へと進むことにしよう」
 私の報告を聞いた男はいつものように話を始める。
「君の感情は至極当然のものだ。誰だって失うのはつらい。しかしそのリスクを背負わなければより大きなものが手に入らないとしたらどうする? 進むも留まるもそれは君の勝手だ。だが、君はそこに留まることが目的だったのかい?」
「私は彼と少しでも仲良くなれれば良いんです……。だってそもそも私と彼とじゃ釣り合わない。だから……」
「それで本当に後悔しないかい?」
「え?」
「何もせずに終わりにして、君は後悔しないのかい?」
 そんなことを言われたって私にはどうすることも出来ない。今までだって普通に過ごして来れたんだし、こんなことをわざわざする必要はない。今のままでいられれば、それで充分だ。これ以上先に進んで失敗するのは怖い。だから……。
「今まで通りで良いのかい?」
 私の考えを読んでいるのかのように男が口を開いた。
「自分で決めずに人に流されて良いのかい?」
 男は瞬きもせずに私の目を見つめてくる。
「勇気だ」
 私の目をまっすぐに見据えたまま男は続ける。
「後悔しないためにも、自分で自分のことを決めるためにも、一歩踏み出さなければならない。そのために君に必要なのは勇気ではないだろうか。勇気と言葉で言うのは簡単だ。しかしそれを手に入れることは難しい。だが君は第二段階まで進むことでそれを手に入れたのではないかい? 今までの君だったならば彼に声をかけることすら出来なかったのではないかい?」
「それは貴方にそうするように言われたから……」
「確かに私がそうするように言った。しかし実際に行動に移したのは君自身だ。君は少しずつ変わってきているのだ。そしてこれからも変わっていける。だから、だからこそここで一歩進むべきなのだ。ここで立ち止まって後悔してはいけない」
 私が変わってきている? 言われてみれば今までの私だったらしそうも無いことをここ数日で二回もしている。本当に今が変わるチャンスなのかもしれない……。
「変われるんですか……」
 こんな私でも変わることが出来るのなら……。
「後悔したくない……」
「では、どうするのかね?」
「私、一歩進んでみます! 第三段階やります!」
 私がそう言うと男はにやりと笑い、どこからかチョークを取り出す。そしていつものように言うのだ。
「では第三段階へと進むことにしよう」

 男からの第三段階の説明は思っていたよりも単純だった。
簡単に言えばただの『告白』だ。
 最初の『スリーステップ』という言葉から推測すれば今回が最後だし、こうなることは当然なんだろう。
「第三段階はアッパーカットだ。君の拳で彼をマットに沈めて来たまえ」
 という男のアドバイスにもならないアドバイスと魔法のネックレスを胸に、私は彼との待ち合わせ場所へと向かった。



 普段使っている四階建ての新校舎に隠れるように建っている三階建ての旧校舎。授業を行う教室は全て新校舎に移っているとはいえ、まだある程度の数の生徒が利用している。その証拠に、古くはあるがほこりが目立つということはない。いくつかの部活が活動室として割り当てられているため、持ち回りで掃除を行っているのだ。私の目的もその部活の一つで、三階の一番奥の教室で活動していた。少なくとも私の記憶では。
 告白の後、私は結果を報告するためにこの教室に向かった。しかしそこで私を迎えてくれたのは『恋愛格闘技研究部』の看板でも、あやしさしかないポスターでも、あの男でもなく、ただの物置になっている教室だった。どういうことかわからず混乱した私は、恋愛格闘技研究部のことを教えてくれた友達にも話を聞いてみたけれど、全員そんな部活のことは知らないし、話をした記憶もないという。
 存在しないし、私以外の誰の記憶にも残っていない部活。本当に最初からそんな部活はなかったのだろうか。いや、そんなはずはない。恋愛格闘技研究部はここにあったはずだ。だって……。
「秋村さーん!」
 突然私の名前を呼ぶ声が聞こえる。こんな場所まで私を探しに来てくれたみたいだ。
 私はにやけてだらしなくなってしまった口元を無理やり直し、声のした方へと走り出す。
 胸元で踊るネックレスを感じながら……。
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