千年王国

「そろそろお前の仕事の時期だな」
 神は眼前で膝をつく1人の天使に言った。
「では仕度が出来次第下界へ向かうが良い」
 天使は立ち上がり深く礼をすると後ろにある扉を開き神の部屋を後にした。終末まで残り約千年。救世主に任命された天使は下界、即ち人間界へ降り悪を滅ぼした後、千年王国を樹立するという仕事を与えられた。
「はぁ〜なんでこんな面倒な仕事をしなくちゃいけないんだよ」
 言った直後天使は周りを見渡して誰も居ないことを確かめた。普段使われる事の少ない世界間昇降機に乗っているのとはいえ下界に降りるのが自分だけとは限らない。家一件分程度の広さの昇降機だ。誰かに聞かれて神に対する暴言とでも取られたら即斬首だろう。降格や追放程度ではすまないはずだ。

 降下速度が落ちていく。もうすぐ下界につくのだろう。何故自分がメシアに任命されたか、天使はそれのみを考えながら下界へ降り立った。

 荒廃した大地。吹き荒れる風。見えるもの全てが終わりを示しているようだった。
 天使はある物は名前だけのような町の前に立っていた。何から始めれば良いのかもわからないまま、天使は足を進めていく。町には人影がほとんど無く、来るべき場所が此処であったかすらも怪しい。『悪を滅ぼせ』と言われても此処の地図も何も無いのに悪なんて何処にいるかわからない。それに『悪』に遭遇したとしても何をすれば良いのか……。神に渡されたものの一つである『リスト』に載っている『悪』を探さなければならないのに、人間自体にまだ会っていない。
「何で神は俺をメシアに任命したんだろうな。他にもそれっぽいやつ沢山居たのに」
 途方にくれ、天使は地面に座り込んだ。冷たい。下界に降りた事が初めての天使は初めて『冷たい』物に触れた。
「もしかしてあんた天使かい?」
 後ろから声がする。振り向くと1人の老人が立っていた。服から飛び出している羽を見て気付いたのだろう。
「はい。一応天使ですが……」
「今みたいな時期に来ちまうとは運が悪いなぁ……。もうすぐこの世界は終わっちまうみてぇだ。救世主様が来てくれることを願ってたんだがよ……」
 観光か何かと勘違いしているのだろうか。空を見ながら話していた老人はそこまで言ってから何かに気付いたように天使を見た。
「もしかしてあんた……救世主様かい?」
「はい一応……」
「ちょ、ちょいと待っとってくだせぇ」
 天使はぎこちなく走っていく老人の背を見ながら1つ欠伸をした。

「さぁ救世主様、もう一杯いかがですか?」
 返事より先にグラスにアルコールが注がれていく。名をワインと言うらしい。
「で、いつ頃から……?」
「明日からでも始めるつもりです」
「それは良かった。皆も王国の誕生を心から望んでいますから」
 いつのまにか集まっている人間たちに戸惑いながら天使は食べ物を口にした。
 天使は先程の老人に呼ばれ言った先の小さな酒場にいた。老人が呼んだのか次から次へ人間が来て、町の状態からは想像できない量の人間が集まっていた。人間たちは皆天使を見ている。あの老人が遠慮しなくていいと言っているが、遠慮などではなく、こんな沢山の人間に見られていては食べ難いだけだ。俺のために1つ家を用意してくれるそうなのでそっちで食べることにしよう。

 家はそれなりに大きかった。天界の最下級の民家と比べて、ではあるが。
 独りになれたところでリストを眺める。沢山の人名が書いてあり、それぞれ備考の欄にはその人間について記してある。名前が挙げられている犯罪者たちを見ているとその中の1つが目に入った。それは過去に1000回を超える回数盗みを繰り返している者だった。殺人などではなく盗みをしたこの者であるのには理由があった。

 夜が明けたらしく、外はよるよりは明るくなっていた。また人間が来ると対応が面倒なので早めに家を出ることにした。
 老人に貰った地図を見ながら進んでいく。とある路地の奥。そこに彼女はいる。目つきの悪い人間たちや衣服もまともに着ていない人間たち、その全てを無視して天使は進みつづけた。

「君がクリス?」
「そうだけど……え? 天使?」
 明らかに驚いている少女はクリス。名前はそれだけミドルネームもラストネームも無い。親は居ない。年齢は6歳。窃盗回数1308回。生きるためだけに盗みを繰り返していた幼き少女、それがリストの中でクリスが目に入った理由だった。この少女は本当に『悪』なのか確かめなければならなかった。



「お前は何をしているのだ! 悪に情けをかけるとは……。どういうつもりなのか聞かせてもらおうか」
 うつむいた天使は口を開いた。
「私はあの少女が本当に『悪』なのかどうか確かめようとしただけで、任務に反するような事をした覚えはありません」
「では、少女は『悪』では無かったとでも言うのか? 1000を超える窃盗を繰り返した者だったはずだが?」
「しかしそれは生きるためにしか……」
「黙れ!」
 天使の言葉を最後まで聞かずに神が怒鳴る。
「貴様ごときに善悪の区別など出来ぬわ! そして何なのだあれは! 次の世界には武力は必要ないと言ったはずだ! 貴様に座天使と言う階級は必要ないらしいな!」
「『悪』を倒すために志しあるものを募っただけです!」
 神の側近たちに抑えられ、連れて行かれようとしながらも天使は叫んだ。
「『悪』とはなんなのですか? 飢えに苦しみ盗みを働く子供でさえ『悪』なのですか?」
 神が頷いたのを見て側近たちは持っていた槍で天使の足を刺す。しかし天使は顔を苦痛に歪ませながらも続ける。
「全ては神、貴方が仕組んだ事なのですよね? この世界に悪魔と天使を作り、人間を作ったんだ!」
 神の顔が突然憤怒の表情へ変わる。
「斬れ! この者の首を刎ねよ! 斬首だ!」
「全てを手の上で転がして、逆らったと言っては作った物を消していく! あんたのやってることは子供が玩具で遊ぶのと何も変わらない!」



 メシアを命じられた天使は王国を築き上げることなく命を落とした。しかし下界の人間たちは天使の言葉を信じ、自らの力で悪を滅ぼして自分たちの力で王国を成立させようとしていた。

 天界に呼び戻される時、天使は言った。

「この世界にはすでに神は居ない」と。
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